集団ストーカー・ハンター

集団ストーカー被害者向けに私の奮闘記をここに綴ります。

“すみませんと思う気持ちは、あるんです”

「すみませんと思う気持ちは、あるんです」

これは、ある子連れの母親工作員にほのめかされたフレーズです【「怖い話」掲載後の加害者の反応(2018年4月10日)御参照】。まさか工作員の口からこんなほのめかしを受けるとは思ってもいなかったですし、他のどのほのめかしより興味深いものです。今回は、そのときのエピソードを御紹介します。

「怖い話」の記事(2018年4月4日)を掲載した日の週末休日の昼下がり、私は外出を終え、お腹が空いたので、久しく行ってなかった地元のマクドナルドに行きました。当然ながら、そこには一般客になりすました工作員たちがウヨウヨいます。

いつものように彼らに挨拶(怖い話読み聞かせ)して初期配置の方々を一掃しておきます。この日は休日の昼下がりのマクドナルドということもあって、家族連れの客(それに扮した工作員も)が多かったです。

初期配置の工作員が出て行ったあと、程なくして補充要員がいらっしゃいます。このときも、子連れのママさん工作員が3組ほどやってきました。たしかママさん3人、パパさん1人、幼稚園未満から小学校低学年くらいまでの子供4人という構成だったかと思います。

私はフロアの隅っこのテーブルにいたのですが、工作員たちは、私をL字で挟むように、前のテーブルに大人たちが、右側のテーブルに子供たちが陣取りました。最初わからなかったのですが、私がいることで家族が分かれてテーブルに座らなければならないという空気を出して、ほぼ食べ終わった私がそこに居辛いという環境を作ってくれてたのでした。これは、その大人たちと子供たちのやり取りで気付きました。ちなみに、露骨な嫌がらせは認定証(2018年4月18日の記事御参照)の餌食になるためか、こんな風によくよく注意しないとわからない微妙な嫌がらせをされることがしばしばあります。

「そういうこと?」と理解した私は、怖い話を聞かせてあげました(一般人には聞こえないヒソヒソ声で)。読み終えてほどなく、横のテーブルの子供のうち1番年齢の低い男児が声をあげて泣き出しました。最初、子供同士の喧嘩か何かで泣いたんだろうと思ってましたが、そんな様子は全くなく、その様子を見ていた母親も「あ〜あ〜」などと言うのみで特になだめようとせず、放置していました。一緒に遊んでいた子供たちも同じような反応でした。

なぜ誰もその子供をあやさず放置するのか。それは、泣いた理由がわかっていたからでしょう。「まさか?!」と思い、私はその泣いた子供工作員を必死でなだめました。いくら加害者側とはいえ、子供を泣かすのは気が引けます。しかし、幼稚園未満の男児にどうあやしていいかわかりません。とりあえず「いい子にしてたら強制収容所になんかいかないから」「強制収容所に行くのは悪いことしてた人だけだから」と何度もヒソヒソ声であやしました。こんな子供に「強制収容所」なんて言葉通じるのかなと思いながらも他に言葉が出てこなかったので、とにかく必死でそうあやし続けました。

しばらくあやし続けていたところ、その男児は徐々に落ち着いていき、ついには泣き止みました。ホッとしたその瞬間、その様子を見ていた母親工作員が、「すみませんと思う気持ちは、あるんです」と私にほのめかしてきました。私もすぐにその母親の顔を見ました。母親とそこにいた大人工作員が皆、私の方を向いていました。彼ら総意のメッセージだったのでしょう。

なぜそのようなほのめかしをしてきたのか。私が子供をあやしたから?怖い話が脅威だから?その意図まではわかりませんが、そのほのめかしたフレーズは、今思うと、「この工作員たち」にとっては、その通りなんだろうなと思います。

工作員の嫌がらせは、それを楽しんでやってる者もいれば、無感情で作業のようにやっている者、嫌々ながら仕方なくやってる者もいます。表情を見ればわかります。私をかばってくれたり抵抗を手助けしてくれる工作員さえも出てきています。そんな光景を見ていると、これは私情による嫌がらせの次元なんかでなく、責任を伴うビジネスとしての次元にまで昇華されたものなんだと、この頃思います。

一部の愚かな工作員を除き、彼らもある意味被害者かもしれません。本当に戦うべき相手は共通してるかもしれません。