集団ストーカー・ハンター

集団ストーカー被害者向けに私の奮闘記をここに綴ります。

世界中の被害者が一斉に抗議する日8月29日〜T-Day〜

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『Targeted Individual Day  今日‪8月29日‬は世界集団ストーカー/テクノロジー犯罪被害者の日です!』

私も最近知ったばかりなのですが、この犯罪について、世界中の被害者が一斉に立ち上がり、周知していこうという動きが始まっているようです。この運動は、アメリカ人の被害者、Lewis Roweさん Shayla Avantsさんを中心に始まり、すでに世界の幾つかの被害者グループ、アメリカの被害者グループ、団体、個人も参加しているものです。

”T-Day”とは、 ”Targeted Individual Day” を略した呼び名で、ここに”Targeted Indiviual”とは、直訳すると、“標的にされた個人”ですが、具体的には、集団ストーカー・テクノロジー犯罪の被害者のことを指すそうです。

”Targeted Individual Day” は、世界中の被害者が連携して立ち上がり、具体的な日付である8月29日を被害者の日とし、一斉にこの犯罪の存在と被害者の実情を世の中に周知し、被害者の存在を数で示し抗議することが目的とのことです。

8月29日という日付の設定は、過去のアメリカにおける公民権運動の一環であるワシントン大行進(1963年8月28日)に続けという意味合いを込めているようです。

「ワシントン大行進」とは、アメリカのキング牧師公民権運動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニアで「I Have a Dream-私には夢がある-」で知られる有名な演説を行った人物)らによって、人種差別撤廃を求める運動の一環として、ワシントンD.Cで、20万人以上が参加して行われた行進(デモ)です。

私は最初、集団ストーカーと何の関係が?と思っていましたが、調べてみると、人権侵害や社会への訴えという点では、本質的に通じるものがあると感じました。ワシントン大行進について興味のある方は、ご自身で調べていただくか、後半に私がウィキペディアで調べてみた内容を私なりに解釈してつなぎ合わせたものを記載していますので、それでよければご一読ください。

このT-Dayにおける活動は、ブログを見てみると、海外での活動内容も紹介されており、特にカナダでは、なんと電車の「外装に」広告を載せるという画期的な周知活動を行ったようです。日本でも、特定の被害者グループと合同での街宣やポスティングなどの周知活動を行っているようです。

今年は1回目のT-Dayで、その日本版ブログも始まって間もないようです。活動内容については、まだまだ充実の余地があるとは思われますが、それよりも、こうした世界的な活動が産声をあげたということが、大変意義深いものであると考えます。今後もその動向を注視していきたいと思います。

◼︎ブログ「T-Day」

https://ameblo.jp/raquell2012

【参考】ワシントン大行進について

まず、基本事項として、「公民権」とは、公民としての権利で、公職に関する選挙権・被選挙権を通じて政治に参加する地位・資格、公務員として任用される権利(公務就任権)などの総称で、日本でいうところの参政権や市民権に相当します。

そして、「公民権運動」とは、主に1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動です。

ワシントン大行進のあった当時のアメリカでは、特に、南部の州において、黒人差別が強く社会に根付いていました。背景には、南部の州においては、黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であり、それを支える白人農園主たちにとっては、「黒人が白人と平等になっては困る」という考えがあったようで、そうした事情の中、南部諸州において、人種差別的内容を含む州法(これら諸州の州法を総称して「ジム・クロウ法」と呼ばれています。)が制定され、人種差別が合法化されていました。

ジム・クロウ法における差別の内容は州にもよりますが、たとえば、黒人の投票に税金をかける、平等を演説すると罪になる、電車やバスなど公共の場で白人と黒人を分ける、白人と黒人との結婚ないし交際を禁じる、などといったものがあったようです。

その上、これらの州においては、アメリカの白人至上主義を掲げる秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)などによる黒人に対するリンチや、同じような志向を持つ警察による不当逮捕や裁判所などによる冤罪判決などが多発していたようです。

こうした社会情勢の中、転機となる事件が起こります。1つ目の事件は、公民権運動家の黒人女性がバスに乗車した際に白人優先席に座ったことから、運転手は席を空けるよう指示したところ、その女性は従わず、運転手は警察に通報し、この女性は逮捕されたというものです。この事件をきっかけに、市民を巻き込んだバス乗車ボイコット運動が起こり、最終的には、日本の最高裁判所に相当する連邦最高裁判所で、この人種隔離政策に対し、違憲判決が下されました(モンゴメリー・バス・ボイコット事件)。

2つ目の事件は、それまで行われた公立高校における白人と黒人の分離教育が連邦最高裁判所によって違憲と判断されていたものの、南部の州知事が人種融合教育に異を唱え、黒人学生の登校を、州兵を送って阻止しようとし、これに加えて、同じく人種融合教育に反対する地元の白人も大群衆で学校を取り巻き、黒人学生の登校に反対したことで、国内外で大きな反響があったというものです。これに対しては、市長の要請で大統領が合衆国軍を派遣して黒人学生の護衛にあたり、その後も軍の警護があったものの、校内では白人生徒による黒人生徒への激しいいじめや命にかかわるような暴力的な嫌がらせが続き、耐えかねて一人が中退しましたが、一人が無事卒業しました(リトルロック高校事件)。

これらの事件により、公民権運動は盛り上がりを見せ、反人種差別運動家だけでなく、白人が多くを占めるアメリカ国内の世論、そして、連邦政府公民権法の制定に大きく動き始め、ワシントン大行進の企画に至り、そこで先のギング牧師は、ここで有名な演説を行いました。

◼︎演説の内容

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/

このワシントン大行進は、ケネディ政権に対して、議会での公民権法の進展についてのさらなる圧力となり、その制定は、ケネディ大統領によって取り組まれ、その暗殺後の1964年7月に成立しました。

もちろん、これで人種差別問題が全て綺麗に解決したというわけではありませんが、リンカーン大統領による奴隷解放宣言以来の人権革命という点で、意義深いものとされています。公民権の法的基盤が築かれたのは、公民権運動という、社会への不断の訴えによるところが大きかったんだと思います(ちなみに、こうしたリンカーンケネディといった素晴らしい政治家たちは、闇の勢力により暗殺されてきました。彼らに限りませんが、こうして暗殺された政治家たちは、一体誰を敵に回していたか。それを辿っていくことが、表には出てこない、裏の世界を知る手がかりになると考えます)。

集団ストーカー問題は、こうした訴えをあらかじめ封鎖しておくかのごとく、統合失調症という本来ならありもしない病気をでっちあげ、訴える人の発言の信用性を潰して社会的影響力を削ぐという構図があります。そういった点で、置かれている状況は違いますが、それでも、秘密結社によるリンチ、警察による不当逮捕、裁判所による冤罪判決、いじめ、嫌がらせ・・・これらの公権力をも含んだ人権侵害は、我々のそれと本質的には同じものだと思われます。侵害されている人権を取り戻すためにも、我々は戦わなければならない、そう改めて思い知らされた歴史の一幕でした。