集団ストーカー・ハンター

集団ストーカー被害者向けに私の奮闘記をここに綴ります。

死後の世界について

 

久しぶりに更新したかと思えば集団ストーカーとは全く関係のない『死』について語る記事。。。「なんだ?どうした?」と思われるかもしれませんね。無理もありません。宗教を信仰している方ならともかく、私のような無宗教の者が、死『後』について考えるということはあまりないでしょうから。

 

そう。もともとの私は、『死』というのは生物的な機能の停止に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないと考えていました。巷で言われているような『死後の世界』などというものは存在しないと考えており、死後どうこうなるものではなく、「死んだら終わり!」と考えていました。

 

皆さんの多くもきっとそうだと(勝手に?!)思っています。だって、そんなこと学校で習いましたか?習いませんね。お坊さん以外でそんな話をする人が周りにいますか?いたらきっと白い目で見られることでしょう。世間一般では、それらは非科学的なものとして扱われており、私自身も例に漏れず、そのような環境のもとで生きてきました。

 

そんな私が『死後の世界』を意識しだしたのは、亡くなったペットの存在を感じる不思議な体験をしてからです。それも1回や2回でなく、軽重の差はあれど何回も体験しました。気のせいとは思えない強烈な体験を通じて、ペットが、もはや死後もなんらかの形で存在していると考えざるを得なくなったのです(もっと言えば、確信しています。)。

 

「肉体はないのになぜ?」

 

「いるというのなら、一体どこでどういう形で?」

 

私にとって愛おしい存在であったからこそ、この問いは常に頭の中をぐるぐる回っていました。そこで私は、この疑問を解消するため、いろんな情報にあたってみました。スピリチュアルだろうが宗教だろうが宇宙論だろうが何だろうが、その問いの答えになりそうなものであれば、カテゴリーに関係なく当たりました(あ、科学的なものもちゃんと当たりましたよ。)。

 

調べ出してから半年程度が経過し、自分なりに納得のできる情報を繋ぎ合わせることで、ある程度の答えは見えてきました。とはいえ、その答えを今この場で話したところであまりにもぶっ飛んだ内容ゆえ、今は触れることができません。触れたとしても消化不良、ひいては拒絶反応を起こすことでしょう。しかし、これだけは言わせてください。

 

『 死 ん で も 意 識 は 残 る 』

 

「そんなバカなw」と思うのが自然だと思います。現に私がそうでした。そんな私の考えが180度ひっくりかえったわけです。信じられない気持ちはよくわかります。なので、こんなこと言って「信じてくれ!」なんて言うつもりは微塵もありません。ただ、そんな私がそう結論付けることになったプロセスは確認いただき、その上で皆さんなりに判断していただければと思っています。

 

そもそも意識というのは、脳が作り出すものであってそれ単体で存在し得ないもの。すなわち、『脳』があってこそ『意識』がある【脳→意識】。これが一般的な考えだと思います。確か学校でもそう習った気がします。ニューロンとかシナプスとかなんかそんな感じでwですが、臨死体験者などの話を聞くと、そうでもなさそうです。今回の記事では、それをうかがわせるテレビ番組を紹介します。

 

【死後の世界は実在した/エベン・アレグザンダー(脳神経外科医)FULL  感動の貴重再現V】

(平成25年11月28日放送「奇跡体験!アンビリーバボー!」)

 

https://www.youtube.com/watch?v=pA50qHmr5iY&pp=ygUu44Ko44OZ44Oz44Ki44Os44Kw44K244Oz44OA44O8IOatu-W-jOOBruS4lueVjA%3D%3D

 

ご覧いただきましたでしょうか?それではざっくりと振り返っていきましょう。今から約13年前の2012年、アメリカの脳神経外科医が、死後の世界は存在する、と発言しました。

死後の世界や臨死体験については否定派の科学者が多い中、「ある!」と断言しちゃってるわけですが、この方は別に怪しげな人とかではなく、権威ある医者のようです。そんな人の発言の重みは極めて大きいと言えるでしょう。わかりやすく表現すれば、その辺の居酒屋のおっちゃんの戯言ではない、ということです(笑)

そんな方がそんな断言をしちゃったもんですから、アメリカでは大反響を巻き起こしたようです。

 

そもそも『死後の世界』とは何か?それを辿るには、臨死体験をした人の体験が参考になります。

臨死体験をした人々を国を超えて実際に調査し、それをまとめた論文があるそうです。番組ではそれが何か具体的に触れてませんが、内容的に、もしかしてコレかな、と私は思ってます。

そこで紹介されているいくつかあるケースのうちひとつ目が、

病院で心肺停止となった女性が、ふと気がつくと体から抜け出て、自分の体と治療を受ける様子を見渡していたようです。

ほどなくして天井に吸い込まれ、

すると、屋上にいました。

その女性は屋上の光景を目の当たりにし、そこで赤い靴が落ちているのを確認します。

ほどなくしてまた地面に吸い込まれ、

意識が戻ったそうです。

これらのことを看護師に話しても、

と言われてしまいます。しかし、決定的事実を告げます。

後に看護師は、実際に赤い靴が落ちてるのを確認し、驚愕することになります。

続いてのケースです。

さきほどのケースと同様、施術中に体を抜け出し、手術室の中を見渡します。生還後、そこで見た事実を医者に話します。

ここまでは先ほどのケースと似たようなものです。しかしこの方の場合は、

生まれつき盲目の方だったのです。本来なら見えないはずの手術室の様子を、『体から抜け出たとき』には見えていたというのです。しかも現実と一致しているというのです。

ちなみに、論文によれば、このケースのような視覚障害のほか、聴覚障害の方が臨死体験中には音が聞こえてたケースもあるようです。

こうした臨死体験については、

科学的には否定派が多く、今回の脳神経外科医についても当初は死後の世界は信じてなかったようです。

自身の患者から、手術中に暗闇から光に包まれ、その向こうで亡き父に出会った話を聞かされても、一顧だにせず、聞き流すだけだったそうです。

彼の同僚も、死後の世界など信じていなかったようです。そもそもこの方は、

のようで、子供の頃から、

と、なんとも可愛げのない子供だったようです(笑)

しかしそんな彼に、それまでの考えを180度変える出来事が降りかかります。

就寝中、背中に激痛が走り、やがて意識が無くなります。

病院に運ばれ、病の正体が判明します。

これは、

で、その菌というのが、

という凶悪な細菌で、

滅多なことではかからないはずの病気で致死率がエボラ並という、えげつないものです。仮に死に至らなくても、

というオマケつきで、残された者にとってはもはや絶望しかないと言っていいでしょう。そんな病で彼は、

昏睡状態が続き、

しかし奇跡が起こります。

意識が戻ったのです。これは、

としかいいようがないことのようです。まあ、致死率90%の病気ですしね。そして、

無事退院します。しかし彼には、

彼はそこで臨死体験をしたわけですが、それが錯覚なのか本物なのか気になって仕方がなかったわけです。

彼は先ほどの臨死体験者たちと違い、自分自身が脳神経外科医なので、観測データから自分の脳の状態を専門的に把握できる立場にいます。

すると、科学では考えられない事実に気付きます。

それは、

脳は機能停止しているにも関わらず、以前、患者から聞かされたような臨死体験を自身もしていたのです。

錯覚などあらゆる科学的可能性を検証していった結果、

彼はそう結論しました。しかし、くどいですが、臨死体験に対して科学は懐疑的です。

これらの臨死体験について、

臨死体験は科学的な証明がほぼ不可能なので、一般的には脳が生み出す錯覚と捉えられているようです。紹介されているのが、

脳内物質というのが、

という麻薬に似た物質で、脳内に大量に分泌されることで、

を与え、幻覚を見るのと同じ状況になっているので、臨死体験はその幻覚ではないか、という仮説です。これを本人にぶつけます。

しかし彼は、自身のCT画像を見せてこう反論します。

この大脳皮質というのは、

で、一般の人のものと異なり、

シワが無く、これは、

つまり、こんな脳の状態では幻覚が見れない、とのことです。

次に、別の可能性です。

脳幹とは、

この説も本人にぶつけられます。

すると彼は、こう返します。

脳幹では鮮明な幻覚は作れない、というものです。では、どんなものを見たのか。この方は、

昏睡状態にあったときに見たものをノートに書き留めており、それを番組が映像として編集しています。

昏睡状態の中、この方の意識は、暗闇の中におり、血管のようなものや鼓動、得体の知れない生き物が吠えたかってくるという、なんともおぞましいところにいたそうです。

しかし、パニックになっているところに光が現れ、旋律が聞こえてきて、その中に引きずり込まれ、陸地や川や町が見下ろせる世界を飛んでいたようです。

すると、一緒に飛んでる人に気付きます。

(どうでもいいですが、この女性の微笑み方がやらしく聞こえるのは私だけでしょうか?w)

この女性は、エベンにこう話します。

あなたは多くの人に愛されているので、この世界ではなく元の世界に帰った方がいい、と言われます。その後、飛び続けてどこか暗闇に入ります。

この暗闇は、どこか懐かしい、安心できる場所だった、とのことです。それ以上先に進めなかったようで、再び最初のおっかない方の暗闇を通って病室で祈る奥さんたち『5人』を見て、

と思い、蘇生したとのことです。たしかに蘇生時、開口一番にこう言ってましたね。

と。自宅のベッド から意識が無くなったのなら、「あれ?ここはどこだ?」ってなるでしょう。まぁ、編集ですけど・・・

この体験を通じて、

死後の世界について強固な否定派だった彼は、信じるようになったとのことです(というか、こんな体験しちゃったら、信じざるを得ませんよ。私がそうですから。)。

この体験について日本の専門家は、

このような複雑で鮮明な幻覚をみるのは、脳幹では難しいようです。

ただ、別の専門家はこう言ってます。

脳の再起動説は、

それが、

臨死体験として現れているのではないかという説明です。これは、

に似ているもので、

であり、

意識が戻る直前はこの状態にあったので、臨死体験は、そのときに見た夢のようなものではないかとする仮説です。それを本人にぶつけます。

ですが、本人はその可能性を否定します。なぜなら、

からというのです。

エベンが昏睡状態から回復したのは、

そのときに病室にいたのは、

この3人であり、脳の再起動ということなら、

ところが、

この5人がいたのを知っているのです。この5人が揃っていた日というのが、

すなわち、

そのときのエベンは、

ということは、

にも関わらず、

記憶できないなら、それが呼び起こされたとする再起動説では説明がつかない、というものです。にも関わらず5人を認識しているということは、

としか言いようがないとのことです。実際、おっかない方の闇から現世にきてその『5人』の祈る姿を見て、「帰らねば」と思って蘇生したわけですから。

しかし、こう突っ込まれます。

まこと的確な突っ込みです。しかし、エベンはこう答えます。

記憶が脳によるものという考え方が全てではなく、脳以外の『何か』が記憶している可能性があるとしています。

こうした意識を生み出し、記憶するものが他にあり、それを追求することが、

と言ってます。実際、さっきの例では目が見えないのに病室を見回せたわけですから、目以外の『何か』で『見て』いたということになります。そうなると、『肉体』って何?という疑問が湧いてきます。

そしてもうひとつ、エベンには

があり、それは、臨死体験者はよく

しかしエベンの場合は、

に鉢会ったわけです。

それは誰か。それは

しています。エベンは、

であり、

2人の腹違いの兄弟と過ごしてました。そんな自分に子ができ、

と思い、細菌性髄膜炎で入院する8年前、実の両親に会うことを打診していたのです。ところが、

これには、

ショックを受けたようですが、のちに事情があったことがわかります。しかしエベンはそのことを知りません。モヤモヤを断ち切るべく、次拒否されればもう会わない覚悟で、入院の一年前に、もう一度会うことを打診しています。

すると今度は、

快諾され、

会って自分の

を知ります。それは、

当時高校生だったエベンの実の両親は、経済的に子育てできる状況になく、泣く泣く施設に預けたというものです。

その後結婚し、2人の子を授かります。エベンとは血のつながった兄弟になります。

しかし、

エベンが入院する10年前に血のつながった妹のベッツィは他界していたことを、ここで聞かされます。これに対しエベンは、

実の両親に話していたようです。

その後ほどなくしてエベンは細菌性髄膜炎で入院することになりますが、無事退院し、それを聞いた実の両親から、妹ベッツィの写真が送られてきます。

これにエベンは驚愕することになります。なぜならその人は、自身が昏睡中に臨死体験をしたときに見たあの女性だったからです。

この女性はエベンに「あなたは色々な人に深く愛されています。決して一人ではありません。だから、今はお帰りいただいたほうがいいでしょう。」と言っており、実際にエベンは回復は奇跡と言われるほどに見込みがない中、現世に戻って蘇生しています。これを、

と表現しています。こういう不思議な力というのは臨死体験の論文の中で複数事例が紹介されています。

この体験について、当時の脳の状態から、

そして、『死者と会える幻覚ではない世界』これは、

としか言いようが無いとし、自身の体験はまさにその世界のものだったとし、

と、亡き妹が一般的には困難な病から蘇生させたという

だと、なんの迷いも躊躇もなく断言しています。

この話を彼は一冊の本にしてします。

私も買いました(笑)忠実に訳してるからか、直訳調で非常に読みにくいのが難点ですが、この話が気になる方はぜひご一読ください。

本以外にも、

ようです。これにより、

として、大きな反響となっているものです。

この体験を通じてエベンは、

が、あらゆる事情を解明するためには、その枠を広げる必要があるとしています。

彼は、死後の世界を意識することで、

とのことです。私も同感です。死んでも終わりではないのなら、今をどう生きていこうか、そう考えざるを得ません。また、先立った人やペットは消えておらず、今もいる、そう考えると、墓前での振舞い方も変わってくることでしょう。

最後に、

それは臨死体験を経験することで、エベンにとって改めて響く言葉となったものと思います。

このニコラ・テスラは、エジソンも嫉妬する天才科学者の割に知名度は高くないのですが、あのイーロンマスクは、自分の会社の名前に彼の名前を冠しています。「フリーエネルギー」など彼の発明(しようと)したものは時代を先取るものばかりで、並の天才科学者とは一線を画していました。

そんなニコラ・テスラは数々の言葉を残しているのですが、その中で、

というものがあります。番組では『非物質的な現象』と訳してますが、元は『non-scientific phenomena』直訳すると、『非科学的な現象』です。それを『非物質』と意訳しているあたり、この番組編集者はこの手の分野を大分勉強してはるなぁと思いました。

 

そもそも科学的証明というのは、ある事象について、それが複数の者に観測されなければ認められないものです。しかし、人の内面で起こっていることを外部の複数の者が観察することなど不可能です。だから臨死体験は、科学的証明が不可能と言われるようです。

 

世間では科学的根拠のないものは全てインチキと考える風潮もありますが、これは、例えるなら、深海魚が太陽や月の存在をインチキと考える(考えるの??)ことと何ら変わらないと思います。体感しているものが全てであって、そうでないものは認めない。この姿勢では、真実に近付けないと私は思います(かといってデタラメでも何でも信じるのはそれ以上に危険ですがw)。

 

ニコラ・テスラの言葉はまさにそれを如実に物語っていると私は思います。裏を返せば、非科学的なことに目をつぶっていては、科学の飛躍的進歩はない、ということですから。それは、非科学的なことの中にとんでもない未知の世界が広がっていることを暗示していると言えるでしょう。そこまでニコラ・テスラには見えていたのでしょう。

 

とはいえ、「だから死後の世界を信じろ!」とまで言うつもりはありません。ただ、今の科学が真実の全てを解明しているわけではないということは肝に銘じておいて損はないかと思います。そのことは、この番組編集者が、『非科学的』を『非物質的』と踏み込んで訳してるのがヒントになります。

 

そもそも『非物質』とはなんぞや?というところですが、身近なものに『感情』があります。髪の毛や爪のように目に見える『物質』ではありませんが、かといって何にもない『無』でもありませんよね?ほかに「温度」「時間」「重力」などもありますが、これらに共通することは、形はないが確かに存在するものという点です。

 

『非科学的』というと『インチキ』と結びつけられかねませんが、『非物質』というと、新たな視点に気付かされると思います。普段の生活では目に見えるものが全てですが、そうでないものの存在を知り、解明すべきものが今の科学の分野以外にもある、と。今回の番組に当てはめれば、臨死体験の世界が『非物質』で脳が『物質』です。この番組を通じて、『意識(=非物質)』と『肉体(=物質)』は一体のものではなく、切り分けて考えるべきものかもしれないという、一般に考えられていることとは違う視点を、この番組は投げかけてるように私には感じました。

 

今回、集団ストーカーとは直接関係のない記事となりました。「死後の世界」を調べていくと、どうしても「集団ストーカー」が非常に小さなものに思えます。だからといってこの犯罪を許すなんてことはありませんが、私の関心は持っていかれましたwなので、またこんな記事を書いてしまうかもしれません。このブログで書き続けるか、別のブログを立ち上げたうえで書いていくか、それはこの記事の反響をみて決めたいと思います。