集団ストーカー・ハンター

集団ストーカー被害者向けに私の奮闘記をここに綴ります。

コキ使われる工作員たち

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教団が信者のことなど何とも思っていない宗教団体(正確には詐欺団体)であるということは、ネット上にある脱会者や現役会員の書き込みや脱会者たちの著書を読めば明らかです。

特に悪名高いのは、「財務」と称する会員に対する教団への寄付の強要です。中には、教団が勧めるままに全財産を寄付して不幸な人生を歩む羽目になった会員もいるようです(ブログ「私は創価学会員でした」の記事「私は絶対に許さない」が具体的でわかりやすいです)。

経済的搾取のほかにも色んな搾取の形があるでしょう。私は生命の搾取もあり得ると考えていますし、それを伺わせるエピソードもありました(2018年6月24日の記事「命懸けのストリートシアター」御参照)。

集ストへの参加も搾取の一つです。もちろん、楽しんでやってる腐った連中もいます。しかし、そうでない会員にとったら、時間や労力の浪費にほかならないようです。それを伺わせるエピソードがありました。

ある日の休日、私は住んでる地域の中心街に出かけていました。途中、用事の時間調整でホテルのロビー階のトイレを利用し、出た後も出入口付近で立ちながらスマホを操作して時間潰しをしていたところ、そこに子供連れの真面目そうなパパ工作員がやってきました。トイレを済ませたにも関わらず、私の目の前で子供と戯れはじめました。しかし、時間が迫ってきたので、ほどなくしてその場を立ち去ろうとすると、そのパパ工作員は、すれ違い際に「労力の限界を感じている」と入れてきました。

最初、私はこのパパが工作員とは思ってませんでしたが、このタイミング、リズム、抑揚、音量、トーン・・・この発言は、少し離れた場所に位置する幼稚園ほどの我が子に向けたものではないな、と直感しました。「工作員だったか」。わざわざそんなことを私にほのめかしてくるとは、このパパ工作員は、私への集ストで疲れたことでもアピールしたかったのでしょうか?それとも、私への集ストを行うのに教団の人的資源が追いついていないということ、すなわち、無理がきているということを愚痴りたかったのでしょうか?

さらに、その帰りで最寄駅から駐輪場に向かう道中、向かいから二人組の女子大生風女工作員がやってきましたが、同じくすれ違い際の絶妙なタイミングで「お金はいるよねー」とほのめかしてきました。私の場合、初期に比べれば動員されている工作員がかなり減っています。教団に報酬を払うお金が無く、それでこの女工作員はタダ働きでもさせられてるんでしょうか?

また、別の休日で県を跨いで遠出したときの帰りでは、駅のホームを歩いていると、斜め前にいたおばちゃん工作員が、私が近づいたタイミングで振り返り、私に向かって苦笑いしながら「バタンキューやで」とほのめかしてきました。これはわかりやすいほのめかしでしたが、先のパパ工作員と同様、このおばちゃん工作員も、私への集ストで倒れるほどお疲れのようです。・・・って、そんなこと私に言われても困るんですがw

労力の搾取もさることながら、工作員への直接的な扱いもかなりひどいものです。

これも休日の出来事ですが、その日、知人とテーマパークに出掛けていました。その中の話題で、嫌いな男の格好ということで、その知人は、タンクトップと膝上半ズボンを挙げていました。すると、ものの1時間足らずで、向かいからタンクトップと半ズボンの、身長は高いんですが貧相な出で立ちの爺さん工作員がやってきました。

彼らはわざわざリクエストに応えてくれたようです。しかし、そのとばっちりを受けた爺さん工作員がなんとも可哀想でした。特に、半ズボンは即席で用意したんでしょう。ジーパンをハサミで強引に切ったような手作り感満載のもので、その丈は、女性用のホットパンツ並の丈でした。これを、60〜70代くらいのやつれた爺さんが履いているのです。

ここはテーマパーク。場違いな上に間違いにも程があるこの格好。着せられてる本人もうつむきながら覇気のない表情をしてました。少なくとも、ストリートシアターとして私を動揺させてやろう、といった意思は感じられませんでした。その成りは、もはや単なる操り人形でした。

これらの様子から伺えるに、教団は、会員を、もはや消耗品としか思っていないのでしょう。こんなことをし続けていれば、教団に対する不満がどんどん蓄積されていきます。今は抑え込まれているようですが、いつまで持つか。私が三色グッズで抵抗したり、時たま彼らに同情するようなブログを書くことで、それに呼応するような行動に出ている工作員もよく見かけています。いつかその勢力が教団の中で多数を占めるようになるとき、一体何が起こるか、楽しみです。