集団ストーカー・ハンター

集団ストーカー被害者向けに私の奮闘記をここに綴ります。

思考盗聴

このブログは集団ストーカーに関するブログであるため、被害者の方以外は読まないと割り切って記事を書いています。ですので、基本的に、「盗聴」とか「思考盗聴」といった被害者の方にとっては常識である事柄については、わざわざ説明することなく、一般用語の如く記事に散りばめています。

しかし、しょうもない嫌がらせなどのローテク犯罪はともかく、思考盗聴などのハイテク犯罪は、一般の方はもちろんですが、被害初期の方にとっても、にわかには信じられないものです。なので、それがどのようなものか、ある程度のイメージを持ってもらえるような記事は書いておこうと思います。それに、私のブログを訪れる方の関心も高いようですので・・・

といっても、このブログでは小難しいことは書きませんし、そもそも書けません(笑)。専門的には『ブレイン・マシン・インタフェース』とか呼ぶそうですが、そんな難しい用語をパッと言われてもピンとこない人が大多数でしょうし、私も理解できてません。科学的な解説は、文系人間の私には到底できません。その代わり、経験則に基づき、出来るだけ実際にあった現象を引き合いに出すことによって、それが確実に存在し、また、それがどのようなものであるのかということを、『頭で考える』のではなく、『肌で感じて』いただけるような形でお伝えできればと思います。

一応、念のために言っておきますと、私が思考盗聴のことを記事に書いて得なことなど何一つありません。お金が入ってくるとかそんなおいしい話は何もありません。完全なボランティアです(笑)。そのため、当たり前の話ですが、信じるも信じないも全くの個人の自由です。洗脳するつもりは毛頭ありません。

こう言っても、中には、「なに妄想を語ってるんだ!」みたいな感じで息巻いている方も、もしかしたらおられるかもしれません。そんな方は、どうぞどうぞこんなページなんかさっさと閉じちゃってくださいw止めはしません。わざわざ私の稚拙なブログを読みにくる時間があるのであれば、それをもっと有意義なことに費やせるはずですから。

そう、『あなたにとって』必要な情報は、テレビが教えてくれます。テレビをつければ、そこには、爽やかなアナウンサー、各分野の専門家(御用学者ですがw)、有名な政治家、お茶の間の人気タレントや芸人などなど、人を寄せつける魅力的な『役者』さんたちが、今日も画面の向こうからあなたに優しくさわやかに語りかけてくれます。それだけにアンテナを張っておけばいいのです。そうすれば、こんなブログを始めとしたネット情報に惑わされずに済みますよw

なんか嫌味ったらしくなってしまいましたね〜。でも、たま〜にそういう旨のコメントくるんで(笑)まぁ、火消し工作員が大半だと思いますけどね。というのも、本当にバカバカしい妄想だと思うなら、いちいち相手にせず、無視するというのが自然な反応ですが、無関係な者とは思えないほどに必死になって噛みついてくるということは、それが無視できないということの裏返しです。そう感じるのは、当事者かその手先の他にいません。

もちろん、中には自分の常識とかけ離れている事実に強烈な拒否反応を感じ、攻撃してくるという人もいるでしょう。そんな人も、別に関わって欲しいとは思いません。コテコテのB層さんのお相手なんかイチイチしてられません(笑)

繰り返しになりますが、そういう人は、テレビだけ見てればいいのです。おっと、皮肉ではありませんよ(笑)だって、その方がその人の精神衛生上好ましい状態なのですから(国民の大多数がコロナワクチンを打っても一向にコロナ禍が終わらないという、テレビだけ見ていてもわからない数々の矛盾にはモヤモヤするでしょうけどw)。

まぁ、私としては、少なくとも、この犯罪がどういうレベルのものかわからない被害初期の方々が、その規模を把握し、モヤモヤが解消されるのであれば、それで十分です。

さて、前置きが長くなってしまいましたが本題です。今回は、以前書いたハイテク犯罪としての『盗聴』に続き、同じくハイテク犯罪である『思考盗聴』についての記事になります。内容が内容なだけに、今回もひじょ〜に長い記事になってしまいました・・・

https://syusutoresistance.hatenablog.com/entry/2020/04/25/205525

ひと言に『思考盗聴』といっても普通の人には見たことも聞いたこともない言葉だと思います。私も集団ストーカー犯罪に遭うまでそうでした。思考盗聴を、実際にそれを何度もやられている私が一般人向けに端的に定義するとすれば、おおよそ次のようになります。

ー視覚、聴覚、その他の感覚のほか考えていることが周りにいる集団ストーカー工作員にそのまま伝わるー

イメージつくでしょうか?まるで漫画かSF映画の話ですね。ちなみに、冒頭の画像の漫画は『サトラレ』ですが、まさにこんな感じです。でも、「そんなことできるハズがない!」と思うのが自然な反応だと思います。なにせ、そんなこと学校で教わりませんし、テレビなども言いませんし、政治家、役人その他の権威も言いませんから。もちろん、『集団ストーカー』についても・・・。

そう、本当にあるのなら、とっくに世間に知れ渡っているはずだ、そう考えるでしょう。でも、『国家機密』とか『軍事機密』とかいう言葉を聞いたことはないでしょうか?この世界には国民に知らされてない秘密の情報なんて山のようにあるわけです。それを追求するジャーナリストやそれを暴露した関係者はことごとく暗殺されています。それも、事故、病死、自殺を装って・・・

「たまたま偶然に亡くなったんだろう?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、タイミングのいい偶然、それって確率にすると、一体どんな確率になるんでしょうかね?偶然で片付けられる率になるんでしょうかね?例を挙げればこのようなものがあります。

●B29が「地震の次は何をお見舞いしましょうか?」と書いたビラを巻いたという番組を放送したNHKプロデューサーが、その放送日に自宅で夫婦とも死体で発見される。

●123便の事件後、航空自衛隊に大量の自殺※者が発生した。

911でのビル崩壊被害者にユダヤ人が1人もいなかったことを不審に思い調べていたNHKプロデューサーが飛び降り自殺※する。

911を予告していたニック・ロックフェラーの発言を暴露した映画監督アーロンルッソがテロ6ヶ月後に膀胱癌で病死する。

※「自殺」はあくまで報道側の言い方です。真実は、「自殺」ではなく、「暗殺」でしょう。

まだまだありますが、ここではこれまで私が記事にした範囲にとどめておきます(出典リンク貼りが大変なので・・・)。もし、これらを偶然だと思うなら、CIAの暗殺マニュアル※の手口と照らしあわせてみてください。事故や病死、自殺を装って暗殺する手口などというのは、実際にマニュアル化されているものなのです。

◾️ CIA・警察・検察版 「暗殺マニュアル」

http://kenjyanoturugi.seesaa.net/article/141792610.html

さて、思考盗聴に話を戻しますと、私が初めて「思考盗聴」という言葉を知ったのは、実際に集団ストーカーの被害に遭い、ネットで情報を探す過程で見かけることで知りました。知りはしたものの、当初は半信半疑でした。なにせ、そんなこと大学を含む学校で教わってないですし、テレビや新聞などからも見たことも聞いたこともない言葉でしたから(あ、当時の私は、コテっコテのB層でした(笑))。

「そんなことできるものなのか?」と、頭ではあるのかもしれないと思いつつも、本当にあるという確信が持てませんでした。しかし、どうもこちらの考えてることが伝わってるとしか思えない工作員たちの行動を見るにつけ、だんだんと「そうなのかも。」といった認識から「思考盗聴してやがる!」といった具合に、確信を得るに至りました。

たとえば、私が思考盗聴という言葉を知る前のエピソードで集団ストーカー攻撃が本格的に始まった初期の職場でのことです。それまで普通の職場だったのが、集団ストーカーが始まってからというもの、職場の社員が意味もなく執拗に鼻すすりをしだしたり、業務の会話の中で私の私生活をほのめかしたり、些細なミスで吊し上げてくるなど不審な挙動をし出したのです。

私は、職場の者がこの不審な挙動をとりだした理由を探るべく、私が退社した後にこの職場の者たちが私がいなくなった後に一体どのような会話をしているのか確認するため、こっそりとICレコーダーを忍ばせようとしました。具体的には、ボールペン型のICレコーダーを机の上にあるペン立ての中に忍ばせるか、私の椅子の奥にあるゴミ箱に忍ばせるか、私の机の引き出しの中に忍ばせるか、いずれかを隙をみて行おうと考えていました。

私の席は不審な反応をし出した者の一人である上司の席の斜め前に位置しており、座席はその上司が廊下と水平の向きに、私は垂直の向きに配置されているのですが、その上司は、それまでは横の席の社員と『横を向いて』調子よく会話していたのに、私がそう考えだすと急に『前(=私の方)を向いて』無言になり、それとなく私の反応をうかがってくるのです。横目での確認ですが、その視線は私の方に向けられていました。「不審に思われてるか?」と思い、再度、パソコンに向かい仕事を再開すると、元に戻ります。

そこで私は、今度は仕事中の動作に絡めて忍ばせることを思いつきます。これなら不審に思われる理由はありません。私はゴミを捨てるフリをして机の下のゴミ箱に手を伸ばします。ところが、その上司は、さっきと同じように、横の席の社員と『横を向いて』話していたのをやめ、『前を向いて』急に無言になり、こちらの様子を伺いだしてきたのです。ちなみに、机の引き出しに忍ばせようとしたときも同様の反応でした。

思考盗聴の存在を知らなかった当時の私は、「(全然やれないやん!なんでこっちのやろうとするタイミングに限って観察してくるねん?!)」そう不思議でなりませんでした。しかし、冷静に考えてみれば、これは明らかにおかしな反応です。でも、普通の人からすれば、その理由を理解することは叶わないでしょう。なぜなら、当時の私を含め普通の人は、思考盗聴というものを知らないわけですから。洗脳(特定の情報を刷り込むのではなく、特定の情報を知らせない形での洗脳)とは恐ろしいものです。

結局、その後も私がボールペン型ICレコーダーを仕込もうとする度に横目で観察されていたワケですが、就業時間も迫る中、埒があかないので、その日は紙ゴミに包んで捨てるフリをしてゴミ箱の中に忍ばせて帰りました。ところが、翌日、忍ばせたボールペン型ICレコーダーを回収しようとゴミ箱を確認したら、それがゴミ箱の奥の方に剥き出しの状態でありました。昨日、確かに紙ゴミに包んで捨てたハズなのに、ボールペン型ICレコーダーだけが剥かれていたのです。

これは、私がボールペン型ICレコーダーを仕込んだことを知っていなければなし得ないことです。私のこの計画は誰にも口外していません。また、私はボールペン型ICレコーダーを他のゴミに包めてゴミ箱に捨てています。客観的に見れば、単に私がゴミ箱にボールペンを捨てたに過ぎない光景です。にも関わらず、ゴミ箱をあさり、たくさんのゴミの中からボールペン型ICレコーダーの入ったゴミを見つけ出すということは、私の考えていることが伝わっていないとできない行為です。

ちなみに、ペン立ても触られた形跡がありました。全てのペンが右に傾いていたのです。昨日まではペンごとに向いてる方向はバラバラだったのに、まるでペン立てごとどこかに傾けたかのように、全てのペンが同一方向に傾いていたのです。これは、ペン立ての中を確認した結果と考えるのが自然です。また、ボールペン型ICレコーダーを忍ばせようとした引き出しも、中身の物の位置が微妙に変わっていました。おそらく、引き出しの中を詮索したのでしょう。なお、その他の場所では特に変わった様子はありませんでした。

これらが示すこと。それは、昨日、私の退社後、職場の工作員が、私がボールペン型ICレコーダーを仕掛けようと『思考した』場所全てに詮索をかけ、『思考した』場所以外には詮索をかけていなかった、という事実です。それは、私の思考に伴った反応にほかなりません。それでも当時の私は思考盗聴を知らなかったため、連中がそれをなし得た理由が見当もつきませんでした。

でもその後、「もしかして頭の中で考えてることがわかるんではないか?」と勘繰るようなことが起こります。これも集団ストーカーが始まりだしたときのエピソードですが、職場から電車を利用して帰宅する途中のときのことです。

当時、被害初期の頃で、駅に向かう最中はコリジョンキャンペーン※が激しかったときで、まだ三色グッズを使った防御法や反撃法を知らず為す術がない状態でした。つまり、やられっぱなしの頃でした。

◾️ AGSAS 【 用語集 】

http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm#

具体的には、職場から最寄り駅までの道中、向かいからくる者たちが私の歩こうとする進路を塞いでくるのです。塞ぐだけでなく、わざとらしく私とぶつかってくる者もいたのです。それも、連れの者と喋りながら偶然を装ったり、よそ見しているフリをしたりと。でも、ニヤニヤ嘲笑してわざとらしさは醸しだしながら。

集団ストーカーを知らない一般人は、そんなことしてなんの意味があるのかと首を傾げるでしょう。では、わかりやすく個人を攻撃すればどうなりますか?攻撃した者は逮捕なり何なりされてそこで終わってしまうでしょう。だから些細な攻撃を数と時間を投入して執拗に行ってくるわけです。

さて、話を戻しまして、そのときの私は、何度も見知らぬ者たちから次々とコリジョンを受け、だいぶ参っていました。そして、自宅の最寄り駅の改札を出て駅の駐輪場に向かう通路で歩きながら私はこう考えました。

「(一体、いつまで続くんだ?)」

と、その時です。

「ずっとだよ!」

と、ついさっきすれ違ったばかりの中高生くらいの女が私に向かってそう叫んできたのです。このときはあまりにもタイミングが良すぎていて、さすがの私もここで勘繰りだします。「もしかして、考えてることが伝わっているのか?」と。

それでもこの段階ではまだ確信は持っていませんでした。ただ、不審な現象はその後も続きます。ほどなくして、関東に住んでいる友人にこの件について相談し、被害の実態を確認するとして私の住んでる関西に来てくれる運びとなりました。

友人の目的は、私への付き纏いの事実を確認するというものです。私は友人の指定する場所で落ち合い、友人の車に乗り込み、人気のない山の方に向かいます。これは、街中ならともかく、人気のないところなら、付き纏いの事実が確認しやすいから、ということでした。

友人は、後続車を交差点や三叉路で突然曲がるなどして巻きます。単なる後続車なら、そこで終わりです。しかし、巻けども巻けども一向に後続車は無くなりません。山道であってもです。そこで友人は次なる作戦に出ます。山道の谷川沿いの少し開けた待避所みたいな場所に駐車するというものです。こうすれば、尾行はできないと。

ところが、程なくして、ある車が私たちの車のすぐ後ろに駐車してきました。人気のない山道の開けたスペースですが、近くに川遊びなどするスポットはないですし、民家もありません。その車が故障しているという様子でもありません。運転手は車から出てくるわけでもなく、エンジンを止め、そこにいるだけです。明らかに不審な挙動です。

私と友人は車を降り、後ろに駐車した車に近付きます。運転手は私たちと目を合わさず、携帯か何かをいじってる様子です。意に介す素振りは全くありません。相手が目を合わせてこないため、私たちも、この運転手と絡むきっかけを掴めませんでした。

車内に戻った私たちは、その車が立ち去るのを待ちます。時間調整など何らかの理由で停車しているだけなら、いずれ立ち去るだろう、と。しかし、一向に立ち去る気配はありません。まるで張り付くかのごとくそこに居座り続けていたのです。30分程度はいたと思います。

おそらく工作員であろうと考えた私は、ここであることを試してみることを思いつきます。その頃の私は、色々な集団ストーカーに関する情報を調べており、その中で、ミッシェルさんのブログの記事「強制収容所」※を黙読すると、工作員が嫌がらせをやめる、という旨の情報を複数確認していました。

https://blog.goo.ne.jp/michel-321/e/05f95535bfbb33138ae45b75716fcc4f

そこで私は、この記事の内容をその場で黙読してみます。すると、読み終えたタイミングで、さっきまで頑なに動こうとしなかった車が、エンジンをかけ、どこかに行ってしまったのです。

この瞬間ではまだ『強制収容所』の黙読によって立ち去ったのかどうかは確信か持てませんでした。偶然の可能性もなきにしもあらず。でも、すぐに確信に至ります。立ち去ってからすぐまた別の車が私たちの車の後ろに駐車してきました。もう一度確かめてみるチャンスです。今度は、友人に黙読してもらいました。すると、友人が黙読し終わったあとに、またしてもタイミングよくその車も去っていきました。今度は30分どころか、『強制収容所』の黙読時間、すなわち、ものの数分の張り付きで去っていったのです。これには友人も驚いていました。

「やはりクチコミの通り、この記事には連中を追い払う何かがある!」

それが具体的には何か当時の私たちにはわかりませんでしたが、少なくとも、この『強制収容所』は連中に対して何らかの影響を与えるものだということは認識しました。ちなみに、話の内容が影響を与えているとはこのときはわからず、あくまで、黙読することによって、何か祈りのような効果があるのかもと考えていました。

ここはもっと検証する必要があります。さらに次に来る車を待ち構えます。ところが、その2台以降、ぱったりと来なくなってしまったのです。代わりに、私たちの駐車しているところでウインカーを出してそのまま止まることなく通り過ぎるという、意味不明なことをする車が次々と現れました。ここは交差点でも三叉路でもない一本道です。ウインカーを出す理由はありません。これは、『強制収容所』を警戒しつつ、連中が被害を受けないための最小限の嫌がらせとしてとっさに思いついたものなんでしょう。

その後しばらく待っていましたが、結局、駐車してくる気配が無かったので、帰ることとしました。私は友人に駅まで送ってもらい、そのまま特に何事もなく帰宅しました。帰宅した私は改めて今日あった出来事を振り返ります。「なぜ、一向に離れなかったのが、『強制収容所』を黙読しただけで付き纏いから離脱したのか?」と。

でも後日、『強制収容所』の何が工作員を追い払うのか、それがはっきりわかる場面に出くわします。そのときのエピソードは以前にも記事※にしていたところですが、ここで改めて振り返っておきます。

https://syusutoresistance.hatenablog.com/entry/2018/05/09/222400

その日は仕事で職場から少し離れたスーパーのフードコートで食事をしていたときのことでした。いくつかあるお店の中から喫茶系のお店でトーストのセットを注文し、フードコート内の人があまりいてないエリアのテーブルに着席して食事をします。

すると、ほどなくして、スーツ姿の20代後半から30代前半くらいの紺色のスーツを着た短髪の男が、ラーメンをお盆に乗せて、ニヤニヤ執拗に鼻すすりをして私に工作員であることをこれでもかとアピールしながら私の前を通り、ほかに席がたくさん空いているにも関わらず、わざとらしく私の座るテーブルの通路を挟んだ真横のテーブルに座ってきました。

「(あぁ、工作員だな。)」

そう認識した私は、この前の駐車場での付き纏いのときと同様、『強制収容所』を黙読することによって、追い払ってみようと試みます。私は食事を中断し、スマホのメモ機能でコピペしていた『強制収容所』の記事を開き、黙読を開始します。

すると、それまで笑みを浮かべながらラーメンをすすっていたその男は、急にこちらをチラチラ確認してくるようになったのです。まるで、「一体何を読んでいるんだ?」と言わんばかりの表情でこちらの様子をうかがいだしてきたのです。

これは明らかに不審な挙動といえます。なぜなら、客観的に見れば、私は食事を中断してスマホを見ているだけです。そんなありふれた日常の光景に溶け込んで目立つ要素の全くない知人友人でもない私を、まるで気になって気になって仕方がないほどにこちらへ視線を送ってくるというのは明らかに不自然です。それはつまり、私の『外面に現れてない何か』に反応しているということになります。そしてその反応したタイミングで私がしだしたこと。それが、『強制収容所』の『黙読』なのです。

この男はやたらこちらを覗き込んでいましたが、構わず黙読を続けます。すると男は、さっきまでのニヤニヤ顔から、段々と神妙な面持ちになっていき、やがて複雑な表情を見せるようになったのです。『複雑』と表現したのは、それが単なる喜怒哀楽のいずれかひとつの要素ではなく、複数の感情の要素が入り混じったものだったからです。

私は黙読の途中、その男のチラ見が気になったので、『強制収容所』の文章が途切れるタイミングで確認してみたのですが、その男は俯いており、その表情は、眼は目尻が下がっており、まるで泣いてるかのようにも見え、でも眉毛は上がり、こめかみやおデコにはシワが寄っており、それはまるで怒ってるかのようでもあり、そして口は、まるで痛みをこらえるかのように歯をくいしばっており、頬にはひきつりでシワが寄り集まっており、手はその頭を支えながら時折うなだれ、足は小刻みに震えているなど、それは悲しみ、絶望、苦痛、怒り、怯えのいずれにも当てはまる挙動でした。

こんな表情、私は見たことがありませんでした。というのも、それまでの私は、テレビドラマなども含め、他人の表情は喜怒哀楽のいずれかひとつ、ないし、多くてもふたつの感情に基づいた表情くらいしか見た記憶がありません。なので、こんないくつもの感情、それも多くの負の感情に支配された表情というのは、少なくとも私の30数年程度の人生の中では見たこともありませんでした。

この瞬間の私は、この男がなんでこんな表情になっていくのかわかりませんでしたが、構わず最後まで黙読を続けます。この男は、私の黙読する『強制収容所』の内容の区切り区切りに、まるでそこの部分が気になったのか、そういう話の塊ごとにこちらを向いてきました。明らかに『強制収容所』の話の内容に呼応した反応です。

そして黙読が終わり、どう反応してくるか見届けます。この男は、食事を止め、ラーメンを乗せたお盆を持って立ち上がり、私に向かって登場時にやっていたような執拗な鼻すすりをしながら去っていきました。ただ、さっきと違うのは、そこに不敵な笑みは微塵もなく、悔しそうな表情でやっていたということです。その様子は、もはや当時の私にですら、あがきにしか映りませんでした。

ちなみにこの男が注文したラーメンはほとんど手つかずの状態です。この男がラーメンと一緒にいた時間は、私の『強制収容所』の黙読時間とほぼ一致しているわけですから、当然といえば当然です。ここでもし、この黙読と無関係だということなら、この男の挙動としては、わざわざラーメンを注文しといて、それにほぼ手をつけることなく食事を切り上げ、食器を返却するという、摩訶不思議な行動をとったということになります。

この男のこのような反応から、私は、『強制収容所』が工作員に何を与えるのか理解することができました。そしてこの男は、おそらく創価学会においてそれなりの地位にいるのでしょう。というのも、他の雑魚工作員の反応は、基本的に恐怖や悲しみの感情に基づく表情をすることが多いところ、この男は、それに加え、絶望や悔しさまで垣間見える表情だったところから、おそらく、プライドが高い男だったのでしょう。もちろん、そのプライドは人をおとしめる行為に対するものなので褒められたものではありませんが。

このエピソードで私は、連中がこちらが脳内で考えていることを読み取ることができるのだと確信することができました。また、同時に、『強制収容所』で嫌がらせをやめるのも、『強制収容所』の黙読という行為ではなく、話の内容そのものが連中にとんでもない恐怖を与えるものであるからということもわかりました。

思考盗聴が実際にあるとしてそれが具体的にどのように人の頭の中を読み取るのか。抽象的に頭の中で考えてることのイメージが読み取られるのか、それとも、もっと具体的に一字一句読み取られるのか。それをうかがうにちょうど良いエピソードがありますので、ここでご紹介します。これも、さきほどと似たようなシチュエーションで、職場の昼休みを利用して、さきほどとは違うスーパーの地下のパン屋のイートインコーナーで昼食をとっていたときのことです。

はじめに簡単に店内の様子をお伝えしておくと、その店の区画はパン売り場コーナーとイートインコーナーとに分かれており、その区画をつなぐ通路にドリンクコーナーがあります。私は、そのドリンクコーナーが真正面に見えるテーブルに座り、そこで食事をしていました。

食事中、ドリンクコーナーに、黒いスーツを着たこれまた20代後半から30代前半くらいの男がやってきてうっすら笑みを浮かべながらコーヒーマシンを起動させていました。周りにツレがいる気配はありません。明らかに不審な男です。私はすぐにピンときました。そやつが工作員であるということに。

この頃にはもう工作員が思考盗聴できることについて確信していたので、声をかけてみることとしました。もちろん、『声に出しません。』念じるだけです。

「(おい、そこのお前!)」

反応はありません。相変わらず、うっすら笑みを浮かべながらコーヒーを注いでます。さらにプッシュしてみます。

「(お前や、お前!)」

まだ反応はありません。さらに念じます。

「(今コーヒー注いでるそこのお前や!)」

ここで反応がありました。その男は、ハッとした挙動をして固まり、固まったまま、視線だけをこちらにゆっくりと、恐る恐る向けてきました。そして私と目が合った途端、慌てて目を逸らせました。これは実に興味深い不審な挙動です。聞こえるはずもない私の念じた言葉にしっかり反応しているわけですから。私は続けて念じます。

「(やっぱ人の頭ん中読めるんやな、お前らは。ほな、今から面白い話(→『強制収容所』w)してやるわ。ちょっと聞いていけやw)」

私はそうやって『頭の中で』挑発します。しかし、その男は私に顔を向けることなく、また、テーブルに着席することなく、コーヒー片手に神妙な面持ちで足早にその場を去っていきました。その表情は、「気付かれてしまったか・・・」といったものでした。

「(おい、逃げんのか?待てよテメぇw)」

そそくさと立ち去ろうとするこの男に私は『頭の中で』そう畳みかけます。しかし、執拗な私の『脳内の』挑発に、こやつは一切反応しようとしませんでした。いいえ、反応してはならない、といった方が正解でしょう。

繰り返しになりますが、これらの発言は全て『私の頭の中での』発言になります。いつもやるような盗聴を前提としたヒソヒソ声ではありません。最初こそ反応しませんでしたが、私が「今コーヒー注いでるそこのお前や!」と特定してやることで、その男はビクっとした挙動をして固まったわけです。

このように、聴こえた者しかしない反応をするということは、それが聴こえているということにほかなりません。しかも、その聴こえている声というのが、私の『脳内での発言』です。すなわち、こやつには、こちらの頭の中で考えていることがそのまま伝わっているということが見て取れます。これは、脳内の『イメージ』ではなく、『発言そのもの』が伝わっているということになります。

また、恐る恐る視線を向けてきたのも、「今コーヒー注いでるそこのお前や!」と私に具体的に特定されたことで、私が思考盗聴に気付いて言ってるのか、それとも単に偶然に口走っただけのものかを確かめるために、恐る恐る確認してきたのでしょう。というのも、行儀良く『無言で』パンを頬張る赤の他人(私のことですw)にそんな挙動をとる理由など全くないからです。

何より、私と目が合った瞬間の、まるで「しまった!目を合わせてしまった!」といわんばかりの反応がそれを裏付けています。そう、バレてはいけないことがバレてるのか危惧して確認しようとしましたが、かえって私に確信を持たせる結果になったわけです。そういう意味で、こやつはいい仕事をしてくれましたw

思考盗聴は他の嫌がらせと違い、直接的には危害はないものと思われるかもしれませんが、もちろん、集団ストーカー工作としての嫌がらせに活用されています。たとえば、こちらの考えてることのフレーズをほのめかされるというようなものです。

大したものではないと考えるかもしれませんが、たしかに、そんなことが一回くらいなら偶然と割り切ることができるでしょう。しかし、道ゆく見ず知らずの他人から次々とほのめかされると、思考盗聴を知らない人なら気味悪く感じ、長期に渡ればノイローゼになるかもしれません。大したものではないと考えてしまうのは、それをやられたことがないからこそ言えるものなのです。

具体的なエピソードを挙げましょう。その後のある日の休日、車を運転していた私は、道中お腹がすいたため、幹線道路の対向車線側にあるうどん屋に入りました。このときにすでに対向車線からきた工作車による進路妨害があったのですが、それは後で触れることにします。

そのうどん屋は、丸亀製麺みたいに、まず麺をもらって自分でトッピングを選んで最後に会計をするというスタイルの店です。私は店内の看板を見ながら何をオーダーしようか考えます。色々見ながら「(鍋焼きうどんにしようかな〜。)」と考えた、まさにそのときです。

「鍋焼きうどんw!」

と、私の前にいた男が、大きな声で、店員にそうオーダーしました。タイミング良すぎです。つまり、思考盗聴です。不審に思い、その男の顔を見てみると、わかりやすいほどにニヤニヤしていました。早くうどんが食べたいからニヤニヤしてたのでしょうか?いいえ、そんな微笑ましいニヤニヤではありません。悪意に満ちたニヤニヤでした。そう、思考盗聴された私の反応を見て楽しんでいたのでしょう。そんな工作員を私は野放しにはできません。この私に喧嘩を売るとどうなるか、この男に知らしめなければなりません。

この頃はもう三色グッズを使った反撃法を盛大に行っていましたので、例に漏れず、私はこの男に認定証※を食らわすこととし、それを執行するタイミングをうかがいます。

https://syusutoresistance.hatenablog.com/entry/2018/04/18/202050

この男がトッピングを選んでいる最中に食らわそうかと考えましたが、それだと思考盗聴で私をかわすことができます。なので、絶対に逃げることのできない状況、具体的には会計のときに食らわすこととしました。会計なら、必ず支払いをしなければならず、立ち止まらないといけないからです。

この男は会計にたどり着くと、慌てた様子で会計を済まそうとしました。そりゃそうです。なにせ、すぐ後ろに危険が迫ってるわけですから(三色リボン(テープ付きw)をポケットの中で構えている私のことですw)。しかし、絶対に逃がすわけにはいきません。私は、会計待ちする中で、席が空いてるかどうか確認しに行くフリをしてこの男の背後をさりげなく通り、こやつの背中の『ど真ん中』を狙って『偶然を装って』認定証を食らわせてあげました。

認定証を執行してからさりげなく会計の列に戻った私は、獲れ高を確認します。ベージュのパーカーのど真ん中に光る三原色。見事に貼り付いてくれていました。なんともいい眺めですwさっきまでニヤニヤしていたのに、神妙な面持ちになりながら支払いをしている姿がなんとも滑稽でしたw食事中もこやつは、周りに他の仲間がいる中、いたたまれないのか、小さくひっそりと、でも三原色は輝かせながら、うどんを頬張っていました(背中のど真ん中という目立つ場所に貼ったのはこのためですw)。

うどんを食べ終え、店を出て駐車場に向かいます。ここで、ふと思い出します。店の駐車場に私が入る際、対向車線から強引な割り込みをしてこちらの進路を妨害して私を危険に晒した白いボックスカーのことを。その運転手こそさっきの男だったわけですが、ついでにお車にも貼ってあげることとしました。私は、「自分の車はどこだったかな〜」と言わんばかりに駐車場内の車を物色し、お目当ての白いボックスカーを見つけて偶然を装って忍び寄り、この車のボンネットのド真ん中に三色リボンを貼り付け、ついでに運転席のドアにも貼って帰りました(ちなみに、ハサミ目のカルトナンバー車でしたw)。

これは一例ですが、他にも思考盗聴を利用した嫌がらせ工作は枚挙に暇がありません。ここでいくつか紹介してもいいのですが、今回はあくまで思考盗聴そのものがいかなるものかを主眼としたいので、それは別記事にすることとします。

今回は、テーマがテーマだけに、いろんなエピソードをたくさん盛り込んだせいで、記事の長さがとんでもないことになってしまいました。。。何人もの人を途中でブラウザバックさせてしまったかしれません。でも、やはり思考盗聴についてイメージを伴って伝えたい、その気持ちを止めることはできず、やむなくエピソードまみれの記事になっちゃいました。

思考盗聴の問題は、形式上、いち宗教団体に過ぎない創価学会員がそれを行うことができるうえ、そのまま野放しになっているということです。これは、公安警察のバックアップがなければなし得ないことです。そして公安は、CIAの下部組織(公安に限らず、地検特捜部も最高裁も政府も全てアメリカの配下にあります。)です。この関係を直列させると、創価学会は、CIAの下部組織に組み入れられていることになります。日本の政治家が創価学会の悪事にメスを入れられないのも、背後にCIAがいるからです。

この経験は一般に認識されているものとかけ離れてるため、犯罪主体の支配層及びその工作員によって、妄想だとか病気だとか吹聴されています。しかし、本来、専門の医師でもない者が妄想か否か、病気か否か断定することはできません。にも関わらず、妄想だ!とか病気だ!とかいうキャンペーンがネット上で駆け巡ります。そんなことをわざわざしなければならない理由は一般国民にはありません。ということは、関係者によるものです。すなわち、工作員が動員され、火消しが行われているということになります。そんなことをする理由は、それが国民に知れては都合が悪い事実だからです。

考えてみてください。仮に妄想や病気と思うなら、普通の人なら、わざわざ相手にはしないでしょう。にも関わらず、それを執拗に妄想だとか病気だとか一方的に決めつけ、無関係な者とは思えないほどに執拗に反応してくるということは、それが知れ渡ると都合が悪いからにほかなりません。そう、思考盗聴は、妄想でも病気でも何でもなく、現実に存在するものであり、単に一般人に知らされてないだけで、かつ、決して一般人にバレてはいけない技術なのです。

しかし、このまま連中に好きなようにさせて我々にいいことなど起こりません。触らぬなんとかに祟りなしとはいいますが、いくらとてつもない相手だとしても、沈黙しているだけでは我々のような一般人は連中に搾取され続けるだけです。コロナもワクチンも連中が引き起こしているものです。政治、行政、メディア、司法、民間企業なども全て間接的に繋がっており、連中の支配下にあります。そこを気付けず洗脳されたままではやられるだけです。今回は支配層の悪事のひとつ思考盗聴でしたが、集団ストーカーをはじめ支配層の悪事の数々は、今後もどんどん発信していきたいと思います。